自由と憐みの人(伝道所掲示板より 2018年9月1日)


 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。・・・(コリント信徒への手紙一  9章19‐20節)


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キリスト者は自由です。特に自分から自由です。人の問題は自分を捨てることが出来ない事です。自分にこだわり、他を傷つける。自分にこだわり閉じこもる。しかしキリストを信じる者は、自分を捨てて、自由になり得ます。
 パウロは自分を捨てて、すべての人の奴隷になったと言います。それはキリストの自由と憐みの故です。
 キリスト者はキリストの神のみを仰ぎ、信じ、神以外には跪(ひざまづ)きません。
 しかしそれがゆえにキリストのように自由と憐みの人になります。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになり、仏教徒に対しては仏教徒のようになり、隣人のためには隣人のようになります。
 キリストの自由と憐みに生きて頂きたいのです。
 そこに争いはあり得ないのです。
                             (2018年9月1日 )

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