無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 



 

<今月の言葉―伝道所の掲示板より―
  愛無き社会の回復

 

 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

                         (ヨハネによる福音書15章13節)

 

         *           *           *

  内村鑑三の弟子にあたる三谷隆正の次の言葉に学びたいと思います。

 

 「げに愛への第一歩は、を棄てることである。人と人との愛を妨ぐるものにして、そののごときはない。汝もし他を愛せんとするか。しからば先ず四方より汝を防備するところの、そのれという牆壁(しょうへき=隔てるもの)を倒せ。しかる後汝は初めて、愛をもって他に近づくことをえよう。かくして愛の第一歩は、己が防備を撤することである。他国が汲々として軍備に忙殺されつつある時に、自国のみが敢えてその軍備を全廃することである。それは甚だ危険なことであるかも知れない。しかし敢えてこの危険を冒すことが愛である。この冒険を回避して、袖手しつつわがうちに愛の成るを待つがごときは、正に百年河清(かせい)を待つ(あてのないことを空しく待つたとえ)の類である。」(三谷隆正「信仰の論理」(1926年)より)

 

 主イエスは隣人のために「自分の命を捨てよ」と言われました。命を捨てることは私を捨てることです。ここにこそ真の愛は成就いたします。今日の愛無き社会はさまざまな悲惨な問題を生み出します。私たちが一人ひとりが隣人に命を捨てる思いで接する事。今日の愛無き社会の回復は、その一点にかかっていると信じます。
                              ( 2019年6月1日)


 

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★伝道・集会・無教会に関する短文ー「恩恵」ー

 

★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

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