無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 

 

 

<礼拝会場変更のお知らせ>

 7月5日聖日礼拝からは、礼拝場所がキャピタルビル4階大会議室に変更になります。

 礼拝時間は同じです。キャピタルビルはこれまでの伝道所より徒歩3分ほどです。

 地図をご参照お願いいたします。〔キャピタルビル地図

 また新型コロナウイルス感染防止のために、礼拝参加に関して注意事項を設けております。安心できる礼拝づくりのためにもご協力をお願いいたします。〔ご参加に際しての注意事項

 約1年後にはこれまでの場所に今井館が目黒より移転してまいります。その際には改めてその中の部屋をお借りして礼拝をするようにいたします。

                              (2020年6月23日)

 


<今月の言葉・9月

 ざくろ

 

口あいて腸(はらわた)みせる柘榴(ざくろ)かな   芭蕉翁
              (「自序に代ふ」内村鑑三『求安録』)

 

        *           *           *

 

口を開いたざくろの実は、どこを向いているか。
神である。
己の罪のままの腸(はらわた)を見せたまま、神に向かう。


我も斯くなる実の如し。
罪の身のまま、ざくろの如くに腸をむき出しにしたまま、神の方を向く。
むき出しのまま、十字架を仰ぐ。


もし神がおわさなければ、死んでいるかもしれない。
十字架上で我が罪を赦し給う神が私にはおられるので、死なないでおれる。


  然らば我は何なるか、
  夜暗くして泣く赤子、
  光ほしさに泣く赤子、
  泣くよりほかに言葉なし。 (『求安録』)
                              ( 2020年9月1日)

 


★伝道雑誌『十字架の祈り』(主筆・荒井克浩〔駒込キリスト聖書集会主宰〕)をご購読ください。

 

★伝道・集会・無教会に関する短文ー「恩恵」ー

 

★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

★『「福音の前進と無教会」講演会記録集』刊行のお知らせ(注文書あり)