無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 



 

<今月の言葉・9月―伝道所の掲示板より―
  見ずして信じる信仰

 

 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
                       (ヨハネによる福音書20章27-29節)

 

 *           *           *

 

 人間は見えなければ信じない。だから愚かにも見えないものを形にしようとする。それが偶像発生の起源である。偶像は人間が造ったものに過ぎない。人間は、十字架の像、神の像、仏の像を、不安だから作り上げる。高価な材料を使い、お金を投資し、偽物を造る。本来、十字架も神も仏も見えないものである。見えないものを見えるように仕立てそれを拝むという事は、人間が造ったものを人間が拝むという事である。それは単なる人間の業の範疇に過ぎない見えない神を見えないままで拝する時に、初めて人間を超える神の恵みを知ることができるのである。
 見ずして信じる者は幸いである。
                               ( 2019年9月1日)


 

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★伝道・集会・無教会に関する短文ー「恩恵」ー

 

★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

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