無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 

 

<お休みのお知らせ>

下記の通り、都合によりお休みさせて頂きます。
聖日礼拝  2020年3月8日(日)、15日(日)

早天祈祷会 2020年3月3日(火)~17日(火)

 

 

<今月の言葉・2月―伝道所の掲示板より―
 共におられる主

 

 私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです。

                      (ローマの信徒への手紙8章38‐39節)                    

        *           *           *


 人は神に勝利を祈る。病の全快を祈る。事の成功・成就を祈る。幸せを祈る。その祈りが成らないときには、神に絶望する。
 しかし信仰の真骨頂は、負けたとき、病が癒されないとき、失敗したとき、祈りが成就しなかったときにある。そのような苦難のときも、神は共にいてくださる。神の御臨在を心と膚に感じているならば、それでよい。その時、負けは負けでなくなる、病が癒されずとも、失敗してもそれは神の御旨である、祈りが成就しなくてもそれは神の御心である。
 自分の御利益的尺度で神を計ることなかれ。神は汝を超えている御方である。
 汝の明暗にかかわらず神は寸分絶え間なく汝と共にいてくださる。
 神共におられるならば、暗きにあっても平安である。
 神共におられないならば、明るきにあっても不安である。
 暗きにあっても主の御臨在を知るべし。その時汝の心は平安となる。
 その時暗き心は明るきに変わる。
 神は彼が選ばれた者からけっして離れることはない。
 汝いかなる時も主共にありて平安なれ。
                               ( 2020年2月1日)

 

 


★伝道雑誌『十字架の祈り』(主筆・荒井克浩〔駒込キリスト聖書集会主宰〕)をご購読ください。

 

★伝道・集会・無教会に関する短文ー「恩恵」ー

 

★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

★『「福音の前進と無教会」講演会記録集』刊行のお知らせ(注文書あり)