今ここにある救い――インマヌエルの救い――
今こそ、恵みの時、今こそ、救いの日です。
(コリントの信徒への手紙Ⅱ 6章2節)
私どもは人生の窮地において「希望に生きるのだ」と、未来に向けて奮起するという錯覚を起こします。実は、救いは未来に見るものではございません。救いは只今、自分の脚下にすでにあることを見過ごして、右往左往しないようにしなければなりません。
私がかつて学んだ禅宗では、寺の玄関によく「脚下照顧」と言う言葉が書かれた札がありました。自分の足下を見よ、そこに救いがある、ということです。現在只今、自分の足元に救いはあるのです。神はすでに自分の脚下におられ、自分が生きている根拠となっていてくださり、いつの時でも離れ難く共にいてくださる(インマヌエル)。神は不信仰のときにも、神を知らないときにも、罪の只中にいるときでも、いつでも離れることなく必ず共にいてくださる。これが神と人との関係の太初の昔からの変わることのない大原則です。神を、他の何処かにではなく、離れ難く脚下におられることを見出すことが、キリスト教では大切なことです。
遠くを見るより‶自分の足下″を見ましょう。神はわが足台(マタイ5:35)です。只今こそ恵みの時です。これがインマヌエルの信仰の中心事項です。
大事なことは、たとえ神を見出せなくても、人の認知能力とは関係なく、動かぬ事実として違うことなく神は貴方の脚下におられるということです。安心しましょう。
全ての人と、神が共に在ます。今こそ、恵みの時。ほんとうの救いの在りかを知ることが大切です。
インマヌエルの神に在りて、今ここで平安である。そのようでありますように。
(2024年10月17日)