中村哲さんの信仰・インマヌエル
中村哲さんをご存じと思います。
キリスト者であり、「アフガニスタンの大旱魃(かんばつ)で苦しむ人々の命を救うには医療ではなく水だ」と考え、医者でありながら灌漑用水路を引く土木工事を行い、見事に砂漠のように乾いた土地を緑豊かな土地に変えた方です。しかし2019年12月4日に、何者かの銃弾に倒れて、天に召されました。しかし中村さんは今もなお、アフガニスタンの人々に本当に愛され尊敬され続けております。
中村哲さんは内村鑑三の思想に感銘を受けておりましたが、その信仰の根本は滝沢克己が見出したインマヌエルの信仰でした。中村さんは九州大学の医学部卒ですが、学生時代に哲学科の教授をしていた滝沢克己から教わり、大きな影響を受けておりました。
中村さんはこのように語っております。
「全ての宗教が同じだ」と無原則にいうのではありません。時代や地域によって隔てられていても
、大きな影響を与えた教えは、何か大切なものを「文化」として根づかせ、それぞれに独特のスタイ
ルを持っています。私たちが感ずる「神聖さ」の根源は、人が語り得ない奥深いところで輝いている
。一方、その「事実」を人知は定義できない。何かしら人の超えてはならぬ「神聖な空白地帯」を、
その地域と時代で共有できる形で戴いている。
だから、その事実に触れる者は、なに教徒であろうと、決して宗教が異なるからと言って人を
排斥することはないかと思います。ちょうど、同じ山から流れてくる異なる水源をたどってゆく
と頂上に至るようなものだと思います。
(中村哲・澤地久枝『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る――アフガンとの約束』
61頁。傍線 荒井)神は無条件に全ての人と共におられる(インマヌエル)ことを見出した滝沢克己は、このように語られております。
ですから、本当の宗教というものは、みんなひとつの生命につながっているけれども、みんなそこ
から出てくるんだけれども、それぞれのところで、それぞれの形をとって出てくるわけです。です
からその形はどうでもいいとは言えない、やはり大事にしていく必要がある。そういう具体的な形か
ら離れて、神様ってことをいいますと、ややもすると、ただ頭の中だけの観念になってしまいますか
ら、やはり、宗教というのはその形を大事にしなければいけない。ただその形を、それが出て来た
根もとを忘れて絶対化したらえらいことになるというだけのことです。
(滝沢克己『滝沢克己講演集』253頁)
中村さんの言う「事実」すなわち「『神聖さ』の根源」、「神聖な空白地帯」は、滝沢の語る「根もと」であり、神や仏が人と離れ難く無条件に共にいるところです(第一義のインマヌエル)。その「根もと」は、私たち自身が出てきた「根もと」でもあります。それを「ああそうか」と知る時に、私共も中村哲さんのように、異なる者や異なる宗教を排除をすることのない愛の営みをなすことができます。神や仏が全ての人と共にいるように、私共も全ての人と共に生きることができます。
中村さんが大事にした「根もと」を忘れないようにしたいと思います。
2025年8月1日
伝道者・荒井克浩






